相模原障害者施設殺傷の公判に考える

投稿者: | 1月 12, 2020

はじめに

2016年に起きたこの事件の公判が事件がやっと始まった。公判の争点は被告人の責任能力だと騒がれているが、果たしてそうだろうか?

この投稿では、事件の真相や彼の責任能力云々を問題としているのではない。それは公判を通じて明らかにされるべきだ。

ここでは、彼が犯行に至った動機と同じ考えをみんなもっていないかい?ということを問題にしたい。

出生前診断は

出生前診断とは、広狭いろいろな意味があるようだが、要は妊娠中に実施される胎児の発育や異常の有無などを調べる検査を意味するようだ。出生前診断の考え方(兵庫医科大学病院のページより)

検査自体は母体管理の面もあるが、狭義になればなるほど「胎児の染色体異常」を調べる検査を意味し、この検査が生むか産まないかを選択するための検査として機能することがある。

そして現に以上が見つかった女性には苦悩が待っている。これについては、【特集】出生前検査(3)「産むか、産まないか」つらい決断を迫られた親たちのケア

社会が障害者と共に歩むことを受け入れていれば女性の悩みはもっと少なくなるはずだし、障害者を快く受け入れていない社会の現実は、この事件と共通する。

旧優生保護法にかかわって

障害者は社会の害であって、そんな状況を作り出さないために親の生殖能力を選別してしまおうというこの法律の誤りについて、政府、国会は、最近になって救済策をまとめた。

旧優生保護法の改正経過については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8D%E4%BD%93%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95

政府がまとめた救済策の概要については、旧優生保護法による優生手術等を受けた方へ

しかし、その救済策は一律320万円。優生学的に性を選別するのが誤りだったという割にはこの額か?ここにはやっぱり社会がまだまだ障害者を受け入れていないような気がする。

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