国民にとって必要な、放送法の「政治的公平」を考える

投稿者: | 3月 27, 2023

1.問題の所在

放送法第4条第1項第2号に「政治的に公平であること」が放送事業者の義務とされてされている。この「政治的公平」ってどんな意味?誰が判断するの?というのが今回のテーマである。

2.みんな同じ放送が「政治的公平」な放送か?

(1)政治家にとって都合の悪いことばかり放送されると、いま話題となっている「放送法の解釈変更」なんて言う姑息な手段を使い、「停波」まで必要と考えるようになるのだろう。

しかし、この規定が「国民(視聴者)にとって政治的公平な放送」と考えると、結論は全く逆になってくる。

(2)一例で、東京オリンピックを上げよう。

今頃になって「金まみれの東京オリンピック」とか「オリンピックを活用した東京再開発」といった様相が明らかになりつつあるが、それはさておき・・・

当時、各放送局は右ならいしたかのように「東京オリンピック賛美」に染まっていた。

このような状況に起きたのが、東京オリンピックをめぐるNHKの嘘の報道事件がある。

詳しくは、「五輪反対デモにお金をもらって参加した」ウソ字幕で大炎上してもNHKが絶対に口にしない”2つの言葉”を読んでほしいが、例の東京オリンピック反対運動に「金をもらって参加」していると、全く事実と異なる字幕を流した事件だ。

NHK側は「編集者の確認不足」と結論づけたが、この報道で「反対運動は金に染まっている」という印象を視聴者に与え、反対世論を抹殺したという事実はどこまでも残るし、無理やり「オリンピック賛美論」に傾けるための編集者の涙ぐましい努力?だったのではないか?と勘ぐりたくなる。が、このようなやり方が「政治的公平だ」と誰もが考えないだろう。

むしろ、1放送局、いや1番組でも、オリンピックが国民全体の世論ではないこと、たとえそれが少数意見でもそのような世論が存在することを映し出すことが「政治的公平」な放送というべきある。

なぜなら、視聴者は、このような意見、流れもあるということを知り、考え、東京オリンピックに対する意見を形成していくものであり、このような放送が、国民一人ひとりが政策を考える上での重要な意見(資料)になるはずだからだ。

また政治家にとっても、政策づくりを考える際の貴重な世論と考えるべきであり、政治家の努めなのだ。こんな世論なんて一顧だにしないという政治姿勢を持つ政治家が(前山際経済再生相のような発言)いるのであれば、民主主義にとって有害だ。

そう考えると、「政治的公平」とは、「どの放送局でも同じ内容」が「政治的公平」ではなく、政府答弁とは真逆の「(例えれば)異論の出る放送」が「政治的公平な放送」なのだ。

3.かつての翼賛体制にならなければよいが

日本は、戦前翼賛体制のもと、あらゆる新聞が「戦争賛美」に動いた。いまロシアとウクライナの戦争を目の当たりにして、「戦争賛美のための報道」にならなければ良いが!と願うばかりである。すべての放送局が「右ならい」するなんて極めて「恐ろしいこと」「危ない」ことなのだ。

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