東日本大震災のときに味わった停電について、今回の北海道地震を契機に改めて考えさせられた。
1.日頃の備えはどうだったのか
停電になったホームセンターに1時間も待って乾電池を買ったという女性がテレビに出ていたが、「えっ!乾電池ぐらい備えていないの?」と驚いてしまった。
震災を経験しないとこんなものも備えておかないのかと驚いたのである。
2,程よい暗さを楽しむ余裕がほしい
大規模停電が少しずつ回復したも、マスコミの論調は「まだまだ復旧していない」が主流で、街を歩いている女性も明かりが少ないのを「寂しい」とか「危険」とか訴えていた。
「復旧していない」ことは事実だが、しかし「このぐらいの停電」をちょうどよいものとして受け入れる余裕がほしいと考える。
確かにゼロではだめだが、程よい暗さは心が休まるものである。間接照明と同じ効果を与えてくれる。
それに、停電のときには、車も歩行者も注意を払って通行し、信号に頼っていては目にすることのない「譲り合い」も生まれる。だから、思いの外安全だということが大震災のときの経験だ。
「〇〇の夜景」とかイルミネーションとかしか喜ばれない風潮が強いが、程よい暗さであれば夜空に輝く満天の星も見ることもできる。夜空の星のロマンも語れない乾いた心は教育上も良くないのではないか?
3.節電を忘れているのでは
大震災から7年半が過ぎ、節電への意識も薄らいでいるような気がする。それに加えて、今年の夏は記録的な暑さだったので、「エアコンを使用して熱中症予防」とか「エアコンを使用しないで熱中症で死んだ」とかの言葉を耳にする回数が多かった。これで一気に節電を忘れてしまったのではないだろうか?
緊急の防止策は優先されるべきだから、危険な暑さに節電で対応すべきだというのではない。
きょうのニュースに出た男性は、「(政府・道庁の節電要請に対して)人のいない部屋の電気を消すとかテレビを省エネモードにしている」と返事しているが、「おいおいこれって普段からやっていないのか、言われて始めたのか」と突っ込みたくなった。
西日本豪雨、その後の台風21号による災害、危険な暑さなど、温暖化が原因の凶暴的な自然災害が多発している。大局的には節電による温暖化防止以外にこれら危険な災害を防ぎようがない。
地球温暖化はCO2だけが原因ではないのだ。昔習った「エネルギー保存の法則」を持ち出すまでもないことだが、タービンを回すための蒸気エネルギーを作るのに、原発であれ火発であれお湯を沸かさなければならない。このお湯を冷ますのに海へ放出するか、直接放出しないまでも冷たい海水に触れさせて、熱エネルギーを海側に移さなければならない。海水が地球温暖化の直接の原因を作っているのである。
「電気がないと不便だ」といった目先の議論でなく、この点を踏まえた地球温暖化防止策に本腰を入れなければならないと思う