この記事は以前書いたものですが、データを消失してしまい記憶に基づいて復元しました。したがって以前の記事と同趣旨ですが、一字一句同じものではありませんので、この点をお含みおきください。
はじめに
最初にお断りしておくが、「(憲法改正について)議論しない」という主張をするつもりはない。どんな場合も状況を詳細を調査の上、時宜に応じた改正は法制度そのものの宿命であり、そうでなければその存在意義を失うと考えるからである。
一般論は、そうであるが、憲法第9条を巡って改正を主張する論者の記事が目に入ったので、この主張を中心に憲法第9条の改正について考えてみた。
ある論者の主張
それは憲法改正~きわめて特殊な憲法をこのまま持っていて良いのかである。「ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(5月14日放送)にジャーナリストの有本香が出演。憲法改正について解説した。」と紹介されている。
記事の内容は、長文となるので、ここでは以下の通り要約した。誤りがあれば指摘いただきたい。
- 各種世論調査でも『議論すべき』が拮抗する状況にあるのに、現在憲法調査会が行っているCM規制問題は、本質論から外れている。有事の際に他国と同じように自衛隊が活動できない以上、日本国民を守れない。そんな規制を行っている憲法を「そのまま持っているのですか?」ということです。
- 国である以上、何か不測の事態が起きたときには守らなければならない。そのとき、日本だけが他の国にはない形で自分の手足を縛ってしまうのは、憲法を大事にするあまり国民を守れないということです。
- 主権が回復していないのと同じようなこと。
- 中国あるいは北朝鮮は、額的にはそれほどではないにしても脅威として大きくなっているのは日本の責任で、例えば集団的自衛権の行使を認める方向にして、さらにそのまま憲法を改正する方向に進んでいたら今日のような事態にならなかったかもしれない。
国民を守るために
国のあり方について、主権国家である以上自衛権が一般的に認めれられているという認識については異論がない。例えば今年は台風災害が目立ったが、あんな特殊な状況から人命を守ったり救出するのは、まさに特殊訓練と特殊装備を有している自衛隊が活動すべき場面である。
問題は、国を守るのに軍事力か?という問題だ。有本香氏はこれを当然のごとく、軍事力が国民を守るということを主張しているのだろうし、憲法を改正し軍事力を保有しようという主張なのだろう。
しかし、軍事力を有する諸国が国民を守っているかというと必ずしもそうとは限らない現実がある。反対勢力(国民)を鎮圧する手段として軍事力が存在しているのも事実である。
また軍事力を行使したら問題が解決したかというと、それもイデオロギーに過ぎない。現実は、戦闘状態に入った途端混乱と混迷の道に入り込んでいる例は多々あるのではないか。
銃弾が命を守るというイデオロギーをもっているアメリカ合衆国内で、銃を使った犯罪が多いことをなんと説明するつもりなのか?
理想で国は守れないというのかもしれないが、軍事力に頼るよりむしろ、「軍事力がないから外交で」という道のほうが緊張感のある外交努力をすることになり、ひいては国民を守ることにつながるのではないかと思う。
軍事バランスのために
中国や北朝鮮が軍事大国になったのは日本の責任だという主張には驚いた。が、この主張こそ、改正論者が、「国民を守るため」の議論とは異なった狙い、すなわち再現のない軍備拡大とその反動としての国民生活の困苦への主張だ。
軍事バランの本質は、相手(仮想敵国)と同等またはそれ以上の軍事力というところに本質がある。仮に日本が軍備を有すれば、中国も北朝鮮もアメリカプラス日本の軍事力と同等またはそれ以上の軍事力を図ってくるだけだ。だから軍事バランスのために軍備という主張は、軍備拡大の主張でもある。
日本が軍事バランスの片棒を担ぐことは、日本の経済力にふさわしくない軍事費を用意しなければならなくなり、国民生活に犠牲を強いなければなくなる。いつか聞いた『勝つまでは我慢』の主張でもある。
また沖縄の現実は何を意味するのだろう。軍事バランスがあるからこそ、アメリカは沖縄を手放さいのではないのか。軍事バランス論者が『危険』と隣り合わせに生きる沖縄の生活をどのように救えるというのか。
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